【インタビュー】中村恭士(ジャズベーシスト)

ニューヨークで活躍する日本人

ここニューヨークはでほぼ全てのジャンルのアートやエンターティメントに直接触れたり感じたりすることが可能ではないでしょうか?

そのためか世界を舞台に活躍するアーティストたちがごく普通に暮らしています。
その中にそれぞれの分野で活躍する日本人のアーティストもいます。

今回はジャズミュージックに携わり今のニューヨークのジャズシーンを引っ張っている現役ベーシスト、中村泰士さんにスポットライトを当ててみました。

最近のご活動について教えて下さい。

基本的に拠点はニューヨークですが、ツアー中はアメリカ国内や海外にも行きます。毎年違うんですけど今年はアメリカ国内が多いのと、夏はヨーロッパが中心になっています。ニューヨークにいる時は毎週月曜日スモーク(SMOKE)でサックスプレイヤーのヴィンセント・ハーリング (Vincent Herring) のバンドで演奏しています。

中村さんが演奏する立ち位置として、フロント又はサイドマンどちらの活動が中心になっていますか?
(「サイドマン」とは音楽用語で伴奏する側のミュージシャンのこと。「フロント」はメインに演奏する側のミュージシャンのこと。)


実は僕自身ベーシストとして自分がリーダーの仕事はそんなに興味ないんです(笑)。サイドマンとしてベーシストの仕事をしている方がどちらかといえば好きかもしれないですね。

 

ご自身のアルバムをリリースされた時は作曲にも力を入れられていますが。

作曲はすごく好きなんですが、本業はやはりベーシストですからベーシストとしての仕事の依頼をもらうことの方が僕的にビジネスをしている感じがします。

なるほど、ご自身のアルバムはどういう経緯でリリースされたのでしょうか?

ノリです(笑)。 
日本でとても面白い方とお会いして是非出して欲しいとご要望をいただき、その流れで自分のCDをリリースしました。今までも何回かオリジナルでCDをリリースしてみないかって話はあったんですが、何故だかその時はあんまり気が乗らなくて。しかしその方に言われた時はすんなりと『じゃあ やりましょう!』と。今後すぐではありませんが、気持ちとしてはまたやりたいなってのはあるので、どこかのタイミングで形に出来たらいいなと思います。


音楽の道を歩まれてきた上でご自身の転機を教えて下さい。

子供の頃にサックスを吹いてたんですが、シアトルで通っていた高校の音楽の先生のアシスタントの方がベーシストで、その方との出会いがきっかけで僕はベースを弾くようになったんです。

その時はたまたま授業でエレキベースを弾いてたんですけど、そのアシスタントの先生が僕の手を見て「アコースティックベースやってみろよ」って言って、そのまま僕の家までアコースティックベース持ってきてくれたんですよ。マイケルスターンという先生で身長が2メートルくらいあって、突然うちにベース持って現れたからうちのお袋びっくりしちゃって(笑)。 

すごく多彩な人で、ベーシストの他にも役者をやってた人なんです。マーヴィン・ゲイが唯一映画を出してるんだけど、その映画にマーヴィン・ゲイの相方役で出てたり、昔の『猿の惑星』にも出てたりしてたんですよ。

彼との出会いがやっぱ一番大きいかな。その高校は音楽に力を入れている学校だったのもあり、そこでジャズのアコースティックベースを本格的にやり始めました。

その後、ボストンのバークリー音楽大学からニューヨークのジュリアードに入った後にも色々大切な出会いがありました。バークリーは生徒が3,000人位いましたが、ジュリアードはジャズの生徒が20人位で少ないから、先生にかなり密接的に教えてもらえました。しかも学校で頑張れば先生が仕事振ってくれたりして、重要な出会いが多かったです。


ジュリアードではどのような学生生活を送られていたのですか。

ジュリアードの在学中にニューヨークのジャズの現状を知ったことで、そのあとミュージシャンとしてどうやっていくのか授業とは別に学べたことも大きいかな。
やっぱりスモールズ(Smalls)ヴィレッジヴァンガード(Village Vanguard)、アメリカを代表するジャズの老舗のライブハウスをちゃんと知らないとダメだなって。

卒業したからってすぐにミュージシャンの仕事につけるわけじゃないってことに気づいたんです。ただずっと学校の中にいるだけじゃダメだなと感じて、ミュージシャンとして僕のこと知ってもらうためにライブハウスによく通いました。


これまで大変だった経験、一番苦労されたことは。

ジュリアードに入学するためにニューヨークに来た時です。
当時21歳位で、2ベットルームの家に3人で住んでました。とにかくこの頃は忙しかたんです。ジュリアードの宿題はものすごい量ですし、夜は自分の音楽活動のために色々な場所に顔を出し演奏させてもらえれば演奏して。その頃やってたギグ(ライブ)は先が見えない仕事が多かったです。
まあ今でもそうですよ。安定職じゃないので。

バックグラウンド的な演奏もよくしていました。誰も音楽聴いていないようなレストランで弾いたり。当時は他のバイトをしなくてもなんとか生活できたのは幸いでしたけどね。

ニューヨークにいたら積極的にネットワークやコネクションを作らないと。いくら有名な学校を卒業したからといっても、すぐにミュージシャンとして生計を立てられるわけではないので。

他の地域だとまた違うけど、ニューヨークは演奏する場所がたくさんありますが、その分競争率も高くて大変です。自分と同じ年頃のミュージシャンが色々な所で演奏してるのを目の当たりにして、「自分も負けてられないな、もっと演奏したい!」って何度も思ってとにかく毎日必死でした。


その頃「ここで演奏したい」という場所はありましたか?

ありましたよ。やっぱり老舗のヴィレッジヴァンガードは目標でした。自分以外にもみんなニューヨークのジャズミュージシャンは目標だと思いますよ。

ここで1番最初に演奏できた時は僕自身「おぉ!」て感じで嬉しかったですよ。
いつだったかもう詳しく覚えてないけど(笑)。
あとはカーネギーホールでの演奏も一番最初は嬉しかったです。


プロになってからの貴重な出会いに関してはどうですか?

それは毎日。色んな人と違う音楽を一緒に演奏して出会うことです。
ここ最近だと去年サックスプレイヤーのジョー・ロバーノ(Joe Lovano)との出会いは大きかったかな。ツアー中、毎日一緒に同じ曲を演奏していても、毎回全く違う内容の演奏をするんです。凄いなぁってインスパイアされました。


恭士さんにとって昔と今のNYのジャズでどんな違いがありますか?

僕がいるここ10数年の事ですが、だんだんとジャズの巨匠と言われる人たちがいなくなってきてることかな。ジャズっていろんな形があるけどやっぱり伝統的な音楽だと思ってるんで、巨匠と言われる人たちの演奏を生で見るってすごく大事なこと。生で見て音を感じるとこ。CDで聴くんじゃなくて。その機会が減ってきて残念だなと。

今の若い世代のジャズミュージシャンってネットが発達しているからジャズを勉強する過程の情報量が半端ないんですよ。だからみんな僕らの世代に比べてメチャメチャうまいですよ。ニューヨークに限らず、日本も世界中でも。

それは素直に羨ましいなって思います。羨ましいんですけど、ある意味どぎつい個性を持ったミュージシャンが若い世代は少ないというか。今のジャズは色んなものを組み合わせてどんどん難しくなってきてて、昔のジャズはみんなが不器用だったのかもしれないけど、それはそれで良さがあったというか。

僕はCDを何回もずっと聞いて勉強してた世代ですから、なかなか手に入らないビデオテープを何回も見てどういう風に弾いているのか研究して、それが今思えば、すごく大事だったのかなって。淡々とすぐになんでも情報が得られるよりは。

 
巨匠と呼ばれる方が減り、ジャズの世界は今後どうなると思いますか。

僕もまだ予想はできませんが、ガラッと変わっていくんじゃないかと思っています。
まだ大勢いる中堅と言われるジャズの世代は巨匠たちと携わってきている人たちなので、僕ももうその世代に入ってきているので自分の教わってきたことを次の世代にきちんと伝えることがすごく大切なんじゃないかと思ってます。今のところまだあまり教えていませんが(笑)。


恭士さんにとって1番印象に残った巨匠は。

マルグリュー・ミラー(Mulgrew Miller)。ジャズピアニスト 2013年に58歳の若さで亡くなりました。

レイ・ブラウン(Ray Brown)。ジャズベースの巨人と言われている伝説のベーシスト)彼は僕の若かった頃のアイドルです。15~6歳の頃彼のライブを見たんですが子供ながらにすごいなぁって感動しました。




これから挑戦してみたいこと、又は取り組まなければならない課題などは。

いっぱいありすぎて分からない(笑)。 
時間があるときは練習してます。
ツアー中はできないけど、ニューヨークいるときは毎日2〜3時間は練習してます。
アコースティックベースはとても体を使うので筋トレもします。

ベーシストは人から呼ばれる立場の仕事なので、依頼されたミュージシャンと演奏
する曲の譜面にも目を通しマスターします。毎日ルーティーンは違いますが、クラッシックのエチュードの基礎練もします。

ドレミファソラシドの基礎練習は絶対欠かせません。あとは自分と楽器全体を鏡で見ながら手のフォームに悪い癖が出ないように練習しながらポジションをいつもチェックしています。

楽器を演奏するって結構フィジカルなんですよ。

音楽を志す若い世代の人たちに一言お願いします。

練習。とにかく練習。


1日のワークスケジュール&最近のオフの日の過ごし方は。

ニューヨークにいるときは昼からリハーサルかレコーディング、夜からギグ、仕事です。ツアー中は毎日違って、知らない人から言わせると「色んなところに行けていいね」って言われるけどヨーロッパツアーだと朝フライトか電車で着いたらホテルにチェックインしてご飯食べて演奏して、夜打ち上げして、また翌朝早朝から次の場所へ移動して結構タフなんです。

ツアー中のオフの時間はたまにユーチューブでお笑いのバラエティを見てます(笑)。
9歳まで東京で育ったんですがその後アメリカに移住してからは、祖母がたくさんバラエティ番組をビデオに撮録画して送ってくれていたので、日本のテレビが今でも好きなんです。寝る前までお笑い見ながら寝落ちたりしてます。


ニューヨークで好きなレストラン、バーは。

最近初めて行ったロウアーマンハッタンにあるベターデイズ(Better Days)っていうとこ。毎週木曜日ブラジリアンミュージックのジャムセッションやっててすごく良かった。ヘビーなブラジリアンミュージックとミュージシャンがいてもっと勉強したいなって思いました。


最近よく使うアプリは。

ウーバーは楽器持って仕事の移動によく使います。
それと、最近教えてもらったアプリで「Who’s playing tonight」っていうアプリは好きなミュージシャンのライブをすぐに検索できてオススメですよ。


最後に読者に一言お願いします。

音楽の生演奏をもっとみんな聞きに行ってみて下さい!

 



<プロフィール>
中村恭士 (Yasushi Nakamura)
1982年東京都生まれ小学校からアメリカのシアトルで育ち、14歳頃よりエレクトリックベース、ウッドベースを弾き始める。バークリー音楽大学、ジュリアード音楽院在学中より活躍し、穐吉敏子、ウィントン・マルサリスらの作品やツアーに参加するほか、2014年よりニュー・センチュリー・ジャズ・クインテット(New Century Jazz Quintet)の一員としても活動。2016年に初アルバム『A LIFETIME TREASURE』、2017年に2ndアルバム『HOMETOWN』を発表し話題に。現在はニューヨークを拠点に活動。

 

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