家族や親しい友人達から離れた海外での妊娠、出産、育児は全てが戸惑いと不安だらけ。日々奮闘する新米ママのニューヨーク子育てコラム第2弾。
初めての妊娠発覚後すぐに体調の変化やつわりを経験したのですが、つわりが治まった後の約1ヶ月間は、まだお腹も目立ってなく体調も元に戻ったようで毎日快適に過ごしていました。
つわりが終わると食欲がみるみる湧いてきて、ものすごい量を毎日食べるようになっていました。
ところが妊娠中期に入ってすぐ、8月の末でうだるような暑い季節にも関わらず風邪をひいてしまったのです。
妊娠する以前の私は寒い季節にちょこっと風邪をひくくらいで引いたとしても1日か2日で元に戻っていました。妊娠中は免疫がなくなってしまって風邪をひきやすくなるとはネットで情報を得ていましたが、この時はなかなか熱が下がらず4日間は仕事は休み、その後は仕事に通い続けていました。
しかし何日経っても咳がなかなか止まらず徐々にその咳がひどくなっていきました。
常に通勤の電車の中ではマスクをつけて日中は仕事に行って勤務はできてたのですが、毎晩深夜の決まった時間になるとこの上なく咳がひどくなるのです。
どうやら妊婦さんが風邪からこじらせてしまうとよく陥る『咳喘息』という症状のようでした。。この咳喘息は本当に辛く、咳のしすぎでお腹は痛くなるし、咳で出る痰に血が混ざってしまうくらいまで悪化しました。
夜は咳で寝れなくても仕事は通い続けました。
当時旦那は仕事を辞めてもいいし、もしくは何週間か休んでほしいと言っていましたが、私にとって1日5時間だけでも体調が悪い時ほど外で人と会ったり仕事をすることが何よりも精神的には嬉しかったのです。これはつわりの時も一緒で出血してドクターストップがかかるまでは少しでも働いて、同僚と世間話をしたり接客をすることで精神的に心が軽くなったのを今でも覚えています。
『しんどいなら働くのをやめて家でじっとしてれば良いのに。』
と言っている人に悪気がないのは重々承知の上ですが、こういった言葉も妊娠した私にとっては妊婦になると社会的に迷惑な存在になっていると言われているような気がしてとても辛く心に響きました。
私はニューヨークの病院で普通にアメリカ人の助産婦さんの定期検診を4週間に1度受けていましたが、日本とは違ってこういった妊婦さん特有の体の不調でも、働くのをやめなさいとかできるだけ安静にという事は余程の事がない限り言われません。
この咳喘息の場合も、
『妊婦さんはよくあることなのよ。最低限の薬は処方できるけど普通の咳止めも妊婦さんの場合あまり効果がないのよ。仕事に毎日妊娠しても行くのは良いことよ!どんどん外に出なさい!本当に流産の危険があるときは24時間妊婦さん専用の救急のビルに行けば全てのエキスパートが揃ってあなたをケアするわ。だから大丈夫。妊娠して妊婦が働く事は良い事なのよ。安心して働きに行って良いのよ。』
と言ってくれてとても嬉しかったのを覚えてます。
そしてこの咳喘息は約1ヶ月毎晩続きました。咳がおさまった頃にはお腹が急激に大きくなっていました。初めてのエコー検診も16週目のこの頃でした。
日本と違って、エコー検診は、エコーを撮る専門のビルにアポイントを取り、いつもの検診でいる助産婦さんはいなくて、エコー専門技師さんとドクターが何十分もかけて細かく診察をしていきます。
この最初のエコー検診で『最後の生理の日は間違えていませんか?』となんども複数のドクターに聞かれるほど私のbabyは巨大児だったのです。
また、これはとてもデリケートな事ですがとても良くある妊婦さん特有の悩みがあります。
約半分の妊婦さんが経験するという『痔』です。急激にお腹の中で赤ちゃんが大きくなってしまうとお尻の穴に色んな重圧がかかってしまって痔になってしまうのだそうです。
私もそれを生まれて初めてこの時期に体験しました。
1日5時間だけのcafeの立ち仕事。うなりたくなるほどの激痛が走りました。
もうこの頃になると色んな体調の不調を経験していたので
(次はこれかぁ。)
と思える余裕が少し出来てました (笑)。
この症状もまた助産婦さんに検診で伝えると
“It’s normal.”
「妊娠中はよくあること」、で終わりました (笑)。
そうして妊娠中期に起こった最後の症状は体の痒みです。もうこれも妊婦さんあるあるの代表的なひとつですがこの症状は出産まで続きました。
経験している方はご存知かと思いますが、私の場合は背中やお尻太ももにかけて異常な痒みに悩まされました。お風呂に入る前も入った後も掻きむしりすぎて血が出ても掻いてしまうほどの私の掻きっぷりを見て旦那さんが唖然としていたのを今でも覚えています (笑)。
この頃の肌着や下着は全てコットンのものに買い換えました。ポリエステルや化学製の布はすぐに肌が炎症を起こして痒みを引き起こすのです。寒い時期になったら毎日着るヒートテックも妊娠中、私の肌は一切受け付けませんでした。
ひとつの命がひとりの女性の体に宿るということは本当に神秘的で過酷な事だと私はこの時期日々実感していました。そういった日々訪れる様々な体調の異変を乗り越えながら、毎日電車に乗る駅に向かって歩きながら、私はお腹をさすりながらbabyに毎日話しかけていました。
頑張ろうね。一緒に頑張ろうね。
本当にきつくなったらマミーに教えてね。
その時は休むからね。
まだ今日もがんばれるかな?
強い子だね。えらいね。
この儀式が気付けばいつからか満員電車に乗る前の私の日課になっていたのでした。