家族や親しい友人達から離れた海外での妊娠、出産、育児は全てが戸惑いと不安だらけ。日々奮闘する新米ママのニューヨーク子育てコラム第5弾。
2018年1月後半のニューヨーク。
私はこの日の時点で妊娠35週目で臨月まであと2日でした。
お仕事は妊娠後も続けていて、最初は臨月いっぱいまで続ける予定でいたのですが、あまりにも普通の人よりもお腹が大きかった事と体と心の疲れに限界を感じ、予定を早めて1ヶ月前に辞めていました。
妊娠してから体調が優れなかったので知人や友人にも全く会わず、仕事が休みの日はただ寝るといった日々を送っていました。
ですがお仕事を辞めてからは体もだんだん調子が良くなってきて積極的にそれまで会っていなかった女友達とできるだけお昼間に会ってお茶やランチを近所で楽しむ日々を送っていた時期でした。
その日も知人とランチをして家に帰ると、いつも以上に眠気と疲れを感じて家で一人でゴロゴロしていました。トイレに行くと、まさかの『おしるし』が。。。
おしるしが来ても出産までは何週間か後になることもあると聞いていたのであまり気にせずにゴロゴロとしていました。
(だってまだ臨月にもなってないもんねー。)
疲れているくせにいつも以上にお腹がすくなぁーと思って気付けば冷凍のアメリカサイズのホールピザを一人でペロッと平らげてしまっていました。
でも眠いしだるいし。。。
横になっていてオリモノよりサラサラしたものがよく出てくるなーって思っていたらそれの量が半端なく大量になってきてタオルで押さえて初めてそれが破水だと気付いたのです。
『おしるし』が来た時点で一応旦那には知らせておいたのですが、『おしるし(英語でbloody showと言います。)って何?』って返事が来ただけでした。
あと少ししたら旦那は帰ってくるからいいかと帰りをゆっくり待っていました。
案の定、旦那さん帰ってきて破水していることを伝えるとすぐにかかりつけの病院の救急に電話をかけてくれてタクシーでマンハッタンにある病院に向かいました。
その時点でも私は予定日はまだ先だから何か異常の原因がわかれば家に帰ってこれるかなって思っていました。
実は私、陣痛をその時点でも感じていなかったのです。
病院に着くとすぐに超音波専用のドクターがチェックをして『baby is coming soon.』と笑顔で映像を見せてくれました。
『ほら。元気にお腹の中でスイスイ泳いでるわよ。まだ陣痛こないの?』って言われても私は全然陣痛を感じていなかったのです。
分娩室にすぐに連れて行かれましたが数時間たっても陣痛が来ないため、薬専門のドクターが分娩室に来て陣痛促進材を打ちましょうと言われました。私はすんなりyesと答えて陣痛促進剤の点滴が取り付けられました。
ズーンっと腰に重~い痛みが少しづつ伝わってきてこれが陣痛なのかぁと感心できるくらいの余裕はその時にありました。
私はうちに残した犬と猫のご飯やトイレの世話や散歩のことが心配で心配でしょうがなかったです。
ですが陣痛促進剤を入れて3時間後にはもうのたうちまわるほどの痛みが私を襲っていました。
こちらの病院では陣痛促進剤を入れると同時に麻酔専門医が来ていつでも麻酔を好きなタイミングで入れるから声をかけてねって言ってきました。
まだギリギリまで我慢してみよう。。
この記事を読んでいて気付いている方もいると思いますが、ここアメリカでは分娩が始まれば今までの検診とは全く違う場所にある建物(病院の系列は一緒です。)に行き、その時初めて会うそれぞれの分野のエキスパートのドクターが自己紹介してひっきりなしに行ったり来たりするのです。
それに加えシフト時間や夜勤や日勤の関係でひっきりなしにそれぞれの専門医が変わっていきます。笑
陣痛促進剤を入れて4時間ほど経って私はあまりにも耐え切れず部分麻酔を入れてもらいました。
こちらではエピドールという部分麻酔を使うのですが、麻酔を使った出産の危険性を訴えるドキュメンタリー映画を観ていたので私は腰にエピドールの注射を打たれる時に泣いてしましました。
もしこれから出てくる赤ちゃんに何かあったら痛みに耐えられなかった私のせいかもしれない。。もう母親失格なのかな。。
その時私に付き添ってくれていたナースが
『大丈夫よ。今までよく頑張った。これから出産まで少し寝て休めばいいよ。みんなそうするのよ。とりあえず、少しでもいいからぐっすり休んで。』と一生懸命体をさすってくれたのを今でも覚えています。
日本では自然分娩は主流ですが、こちらでは無痛分娩にする人も少なくありません。ほとんどの妊婦さんが麻酔を処方されながら出産します。
エピドールを打った後、私はそのままぐっすり4時間ほど眠ってしまいました。
そしてぐっすり眠って起きた時は急に体力が戻ったのかとってもスッキリしていていました。
今思えば、麻酔の出産もありです。
産後48時間後にウチに帰ってすぐに育児が始まる母親にとってこの睡眠の時間はとても貴重ではないかと思うのです。
ちなみにエピドールは腰に打つ麻酔なので出産中の膣の痛みはそのままです。
眠りから覚めた時は朝の7時になっており、マンハッタンの分娩室からは雪景色で真っ白になったセントラルパークの景色がまるで絵本の世界のように綺麗だったのを今でも鮮明に覚えています。
その時旦那さんにはまだ生まれないようだから一度家に帰って犬と猫のご飯とトイレ掃除と散歩をしてきてほしいとお願いしました。そしてドクターに、旦那さんに一度ウチに帰ってもらおうかなって伝えると、『もう直ぐに出てくるみたいだから、どこにもいかないで』と言われました。
その時点で初めて、二人組の助産師さんが登場しました笑。
それに加え、早産のため未熟児の場合のエキスパートのクルーが複数人急に分娩室に入ってきて本当にたくさんのスタッフに囲まれていました。
もう部分麻酔の効果はほとんどなくなっていて膣の痛みや腰の痛みも普通にありましたが、私は眠りから覚めた時点でとても晴れやかで神聖なものを感じていたのです。
目に映る外の景色、ひっきりなしに行き交う医療現場のスタッフたち、隣にいる旦那さん。
私にはすべてがキラキラしていて愛と喜びに満ちたものに感じられました。
心も体も辛くてしょうがなかった妊娠期間を一瞬のうちに”そのとき”は喜びと幸せに変えてしまったのです。
色んな人が出産というと、ものすごく痛いとか苦しいとか鼻からスイカだとか言うけれど私の場合は全く違ったものでした。
4週間以上も早い早産になってしまったのに不思議と未熟児の心配は私自身これっぽっちもなく、小さなエンジェルがたくさん分娩室にやってきて愛と喜びを振りまいているかのようでした。
気づいたら私は病院のスタッフ一ひとりひとりの手を握って
『私なんだかfeeling so goodなの。握手をさせて。本当に幸せだよ。そしてここに私といてくれてにありがとう。』と伝えていました。
病院のスタッフたちもみんな笑顔で
『そう言ってくれて私達も嬉しい。きっとhappy motherからはhappy babyが生まれてくるよ。』と言ってくれました。
そして、横にいる旦那さんのクリスにも
『本当にありがとう。私すごく幸せだよ。』と伝えました。
きっとこれは俗に言うLOVEフェロモンのセレトニンの分泌のせいだったのでしょうか。出産前に母親になる人がこのホルモンの分泌によって気持ちよくなるっていうのを出産前にドキュメンタリー映画で見たのです。
とにかく私にとっての初めての出産の記憶はこの幸せと喜びに満ちた時間と、窓から見えた真っ白に雪でデコレーションされたセントラルパークの美しい景色なのです。
2018年1月30日朝。
2700グラムの男の子。4週間以上の早産にも関わらず未熟児ではなく超安産で生まれてきてくれました。
旦那さんがへその緒を切って初めて私に抱かれたbabyは『わぁ~。やっと会えた。』って言ってるみたいな何とも言えない表情をしていました。
ここニューヨークで働きながら過ごした妊娠期間のしんどさや産後の想像をはるかに超えた慣れない子育ての辛さは時が経つにつれてきっと少しづつ薄れていく気がします。
ですがこの初めての出産のキラキラした記憶は私が人生をいつか終えるときもきっとずっと私の中に残ってると思うのです。
女で生まれたよかった。
神様ありがとう。
私だけではなく世界中のお母さんはどんなに辛いことがあっても、親子の関係がこの先こじれてしまったとしてもきっとこの瞬間の記憶を人生ずっと自分達の子供達への愛情と共に持ち続けていくのだろうと思います。
だから母になると女性は色々なことを乗り越えれるようになる気がします。
この時の喜びをいつか息子に語って伝えてあげたいな。