母乳育児の必要性を高く評価する現代のアメリカママたち。
しかし粉ミルクに頼らざる負えない状況のママたちも多くいるでしょう。今回は私が体験した授乳エピソードをお届け。
産後からの病院での授乳事情
1970年頃から粉ミルクでの育児率が高まり始め、働くお母さんたちの強い味方として今でもその存在は欠かせません。しかしその一方で、子供のアレルギーや免疫低下、発育問題、大人になってからの発ガンなど、様々な病気のリスクを減らすのに母乳育児が大きく関わっているとアメリカ疾病予防センターや多くの病院などが母乳育児を推奨しているそうです。
産後すぐ、育児の仕方について自分の希望を記入する紙をもらいました。それは粉ミルクにするか、混合授乳(粉ミルクと母乳の両方)にするか、完全母乳育児をしたいかを伝える内容でした。
私としては母乳育児はしたいけど、産後48時間後には退院し親や身内のいない海外での出産・子育てであまりに辛くなったら無理して母乳にこだわる必要は無いと思っていたので混合授乳と決めていました。
なので記入内容も混合授乳。
ですが、産後間も無くどれだけ母乳育児が新生児の発育に対して大切かドクターやナースが促してくるのです。
私の場合は4週間以上の早産だった為、母乳も全くもって出ない状態だったにもかかわらず毎回ナースが絞り出そうとしてくれました。その度に私は日本語で『いったーい!』と絶叫してました笑。
産後翌日にlactation class母乳育児クラスに参加するように言われ参加しました。
そこでは子供5人を全て母乳で育てたというスーパーナースさんがインストラクターをしていて、色々な授乳のテクニックや私達お母さんの身体の変化や食事について、またbaby変化についてなどなど様々な事を短時間で説明されました。私はクラスが終わって『個人的に早産だからきっと最初は人より辛いだろうけど諦めないでね。絶対出るようになるから!』って言ってもらいました。
それからすぐに電動搾乳機で二時間に1度搾乳をさせられ、私の入っている保険が適用されるからと搾乳機をオーダーしてくれました。
その後の産後1週間目、1ヶ月、2ヶ月検診でも小児科医のドクターに早く粉ミルクは辞めて母乳に切り替える事を勧められました。
Babyの免疫を強くし心の情緒や全てにおいて粉ミルクより勝ると。
また、粉ミルクは危険だとまで言われました。
産後1ヶ月の時点で私は育児の疲れと睡眠不足でクタクタになり、それを言われるだけで正直苦しかったのを覚えています。だけどそのドクターは母乳育児の推奨を辞めません。容赦なくガンガンきます笑。
『ウチの中は汚くてもいいから母乳を数時間おきに吸わせて赤ちゃんと一緒に寝なさい。そのまま起きて吸わせながらお腹がすけば何か食べてもいいし、お茶を飲んだり、1日グラス一杯ならワインも飲んでいいですよ。リラックスして生活全てに母乳育児を捧げなさい。旦那はその為にいるんです。あなたは授乳をしているプリンセスだ。』とまで言ってました笑。
ちなみにそのドクターは男性です。
しかし、その後も混合授乳を続けていたのですが、産後12週目になった頃、ウチのbabyに食物アレルギーからくる重度のアトピー性皮膚炎が全身に出てしまったのです。
アレルギー対応の大豆でできた粉ミルクでも反応が出た為、私は完全母乳に切り替え、除去食を余儀なくされました。
夜中だろうが早朝だろうが毎日2~3時間おきに、授乳、または搾乳をしてできるだけ母乳をたくさん出す体を作っていきました。
本当に毎日必死でした。グルテン、卵、乳製品、揚げ物、白い砂糖は食べず、今も授乳を続けています。毎日、グルテンフリーのお醤油を使って玄米とお味噌汁、メインはお魚を中心に(たまにお肉も食べます)旦那さんもお惣菜作りに協力してもらってお家で作って食べています。
材料を揃えるのは日本ほど簡単ではないですが、どうにか手に入ります。本当に私は日本人でラッキーだなって毎日実感してます。
外で食べる機会があるときは、ちゃんとお店側がグルテンフリーやDairy free(乳製品不使用)の表示や説明がしっかりしてあるカフェやレストランで、サラダやポテトを食べています。
驚くことにアトピー自体は除去食を進めて4ヶ月頃から段々良くなっていき、今では身体のアトピーは完全に消えました。そして母乳育児と関係あるかどうかはわかりませんが、うちのbabyはこの極寒のニューヨークで一度もまだ発熱もしたことはないし、風邪もひいたことありません。(これが母乳の免疫の効果なのかな…)と漠然としています。
きっとみんながみんな一緒ということはないのでそうだと言い切れませんが、やっぱり大変だったけど母乳育児にして良かったのかなと最近は思える余裕も出てきました。あと1ヶ月もないですが、1歳までは頑張ろうと決めています。
ご近所のニューヨーカーママさんたちの授乳事情
まだうちのbabyのアトピーがひどく顔にも出ていた生後5~6ヶ月頃、夏の日中の日差しが顔の肌の痛みになるのか昼間は外に出ると泣いてしまうので、いつも夕方近く同じ時間帯に夏はお散歩に行っていました。
そこで2歳~3歳くらいの男の子を連れているアメリカ人のママたちと毎日おしゃべりをするようになりました。
『子供にアレルギーが出て除去食で母乳育児をしているお母さん、すごく辛抱しなくちゃいけないし大変よね。私の知ってるママにもたくさんいるわよ。あなたはこの子に本当に素晴らしいことをしてあげているわ。除去食の母乳が一番子供の免疫にもいいし、早く治るんですって。そしてあなたは一人じゃないからね。』
と言ってくれました。
そのうちの1人のママの男の子も食物アレルギーがあったそうです。彼女の場合は学校の先生をしていて産後2ヶ月からの職場復帰がやむをえなかった為除去食をしての授乳ができなかったんだとか
『あなた自身はとても辛いだろけど、私からすればとっても羨ましいわ。頑張ってね。』
と励ましてくれました。
その時は私自身、babyのアトピーや授乳、除去食のストレス、そこにまたbabyの場所見知りと人見知りがピークの時で、全てが一番辛かった時期でした。本当に涙が出るほどそのママたちの言葉が嬉しかったのを覚えています。
この記事を書く数日前にも同じ公園でまた別の男の子のママに会いました。彼女もその男の子の生後3ヶ月から食物アレルギーが発症して除去食の完全母乳をしていたと言います。
『この子が生後3ヶ月から9ヶ月までは、私自身ボロボロだったわ。食べたいものもたくさん我慢したしね。あなたの努力、すごくわかるわよ。あなたのbabyもすごくお肌きれいになってるじゃない?!今度は卒乳か断乳がもうひと壁あるわよ笑。』
と言って笑顔で息子さんと追いかけっこをしていました。思わず私は彼女に『先輩!』と抱きつきたくなるほど尊敬の念を抱いてしまいました笑。
そう、ここニューヨークのママたちもとってもたくましく、ポジティブで、そして本当に優しいんです。公園で出会った彼女たちはまさに私の愛すべき同志!。